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歩く、その歩く過程が、青年の家のプログラムの始まりであるというふうに思うんですね。そこで町を知る、自然がどう変わっていくかを知るそして、友達と一緒に歩くことによって、そこからプログラムに対する期待感が増してくるというふうなことでね。
ただし、駅から青年の家までの歩き方は、歩きやすくなっていないと困りますけれどもね。車がひゅんひゅん通ったり、排気ガスがわんわん来るというのでは困りますが、そういう整備は地域と一緒にぜひやってもらいたい。青年の家までどういうふうに歩いていくかの歩き方が、スムーズに行けるようにしてもらいたいんです。駅から歩くコースが、その地域を知っていく第1時間目というふうに考えてやるべきであって、こういう不便を常にセッティングしておくというのは、あっていいんじゃないのかな。そこがホテルや民宿と違って、「はいはい」という感じで、バスでどんどん送っていくというのは、やらない方がいいと思っています。どこかで意味のある不便を隠しておくというか、そういう隠し味をつくっておくというのは、大事なんじゃないか。
さっきの、ある枠と自由という問題でいえば、青年の家は、日常的なものから非日常に行くというふうに考えた方がいいと思うんですね。昔の若衆宿というのは、ある青年団体に頼まれて調べたことがあるんですが、日常に行くまでの準備期間だったわけですね。村の一人前の男になるために、若衆宿でいろいろ訓練をする。村の日常生活に入っていくための訓練期間が若衆宿だったんですが、今は、青年の家はなにかというと、まさに日常的なものから非日常の世界に入っていくんだ。日常的なものはできるだけ−もちろん食事とかは無理ですが、プログラムの中では、日常的なものは切り離す、そういう仕掛けがあってもいいんじゃないかなと思うわけです。
さっきの、一個人になるんだという観点からいくと、名刺を持ってきていますが、青年の家に来たとき、青年の家だけで通用する名刺を持ってもいい。その名刺は粗末な、それこそワープロで打った紙を切ったのでいいんですが、自分なりの名刺を持つ。その名刺は、自分が自己PRはこれだと思えばそれを記していいと思うんですね。そういう名刺を持ってお互いに交換するという仕組みとか、女性からは問題視されていますけれども、今の学校は、男の人と女の人と名簿は別々ですね。企業でも女性と男性を分けている。青年の家では、男女はアイウエオ順でまざっていくような仕組みで勉強するとか、とにかく日常ではやれないこと、実験をどんどんやっていく。そういう場にしてほしいですね。
情報なんかも、青年の家に毎日毎日情報誌を出す担当がいて、集まった人みんなが五つの情報誌を軸にして活動していくとか、何か物すごくやわらかな発想で1つのシステムをつくっていくというようなことができたら、おもしろいのではないか。
青年の家は、どちらかといえば自然というのを売り物にしますが、私は自然というのは売り物にはならんと思います。売り物にするのなら、我々はもっと自然の厳しいところへ行くし、ほかの自分の好みの自然のところへ行くわけで、自然はあくまで舞台であって、自然そのものが主人公ではあり得ない。自然を売り物にするのはやめた方がいいと思います。
むしろ自然を舞台にして、その青年の家にどういう人間がいるか。どういうプロフェッショナルがいるかというのが1つの売り物であって、あそこにあの人がいるから行こう。それは、まさに自然とっながっているんですよ。その人はその土地の草木について非常に詳しい人であったり、あるいはその土地の農業について詳しい人であったりするわけですから、自然と密接につながってはいるんだけれども、あくまで売りは人間だと思うんですね。そういう人間をぜひ育ててほしい。青年の家のプロフェッショナルで、ある期間が過ぎたらいろんな青年の家を巡回していくというような人でもよろしいし、生き方、知識、そういうものによって引きつける人であってほしい。そういう人をぜひ育ててほしい。どこにどういう人がいるかというネットワークができれば、我々は、人を訪ねるということを主体にして回っていくような楽しみ方ができると思うんですね。
中のことはよくわかりませんが、人事というのが難しいと思うんです。思うんですが、今のサラリーマンでも、60を過ぎて、私の同級生が今ちょうど60

 

 

 

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